東野圭吾(3)
何度も書いていますが「白夜行」と「幻夜」を僕は高く評価してます。
ごく個人的なことですが、僕が小説離れを起こしていた原因のひとつには、中上健次の存在が
あります。僕の中で彼を凌駕する存在が現れることは期待薄でしたし、中上健次と云う物差しの
前では、村上龍ですら話にならないと感じていたのですから。
ところが、東野圭吾は、まったく違った存在でした。
魂と云うよりは叡智によって。そして圧倒的な筆力を裏づけとする「白夜行」は、僕を呪縛から
解き放ってくれた感じがします。それぐらい「白夜行」は、凄い作品だと思います。
まず、完璧なプロットありきですね。この時点で精緻且つ確固たるものだったと思います。
そのフローチャートのようなプロットは、へたなプログロムより緻密なんじゃないかと、
勝手に想像しています(笑)本当は、この時点で「幻夜」まで考えが及んでいれば、もっと
凄い事になっていたんだと思いますが。いや、構想としてはあったかもしれませんね。
でも、何とかなるって自負もあったでしょうし。得てしてそういうもんです(笑)
で、そのプロットに沿って圧倒的な描写力と筆力で、極力無駄を排しながら緻密に表現を
重ねています。
タクシーを降りる時、鞄と一緒に紙袋を持った。
その時、運転手が納得したように頷いた。
「なるほど、そういうことですか。どうりで何かええニオイがすると思た」
曽我は笑みを返した。紙袋には現場に手向けるための花が入っていた。
(「幻夜」第四章より)
読んだだけで、脳内に映像が喚起されますよね(笑)
こういう点から、この作品群をわざわざ映像化するのは、単に写しているだけで、愚の骨頂
だと僕は感じたのですが、そんなことはどうでもいいです。
引用した部分は、ストーリー展開からは全く関係のない描写です。けど、これだけの字数で、
読み手の脳内に映像を喚起させ、リアリティ感を与えていく。そういう丁寧で緻密な作業が
各所に施されています。「幻夜」の解説で黒川博行氏が同様に「ディテールの確かさ」と
表現されてますが、僕はこれこそが東野圭吾の確信犯的な狡猾さだと思っています。
この狡猾さをもって、状況描写だけで最後まで一気に書き上げているのだと。
「白夜行」には桐原亮司と西本雪穂の視点の描写がありません。
「幻夜」にも新海美冬の視点の描写がありません。
主人公の内面の吐露を排除しながら、その暗黒面を浮かび上がらせるという、とんでもない
ことを東野圭吾はやってのけている訳です。
僕は、「白夜行」「幻夜」の流れから『続編』と呼ばれるものが必ず、東野圭吾の中に
存在していると思います。「雪穂と美冬が同一人物か?」とか「時系列的に矛盾するんじゃ
ないか?」とか云うのは、既にどうでもいい問題です。
3部作の最後の作品では、女性主人公の視点からの描写により、成し遂げられる世界が
そこにはあるはずだと、思うからです。
最後に、僕らしく俗な話に引き摺り下ろします(笑)
東野圭吾氏は理系なんですよね。学歴的に。「白夜行」の『MUGEN』社の世界は、
彼や僕の世代にとって、えらくリアリティのある世界でした。パソコンがマイコンと
呼ばれていて8ビットだった時代。640KBのフロッピが数千円した時代(笑)
ま、そんなことはどうでもいいです(笑)
とにかく東野圭吾は、理系。それでいて圧倒的な筆力に裏付けるされるような文系の
創造力を持ち合わせています。そのふたつが僕の彼に対する妬ましいところです。
東野圭吾氏は競馬をするでしょうか?
幼い頃、武邦彦をTVで見て、何も感じなかったでしょうか?
彼なら、僕が理想とする馬券師になれると思うのですが(笑)