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2005年12月09日

漱石忌

草枕
以前、僕が自分のサイトに掲載してたバカな文章です(笑)

夕暮れの京都競馬場スタンド最上段から、池に浮かぶ水鳥を見ながら、こう考えた。
智に働けば出遅れる。情に棹させば馬が掛かる。意地を通せばタテ目を喰らう。
とかく競馬は難しい。難しさが高じると、安易なモノに心移りしたくなる。
どんな博打も難しいと悟った時、自分のスタイルが生まれて、戦略ができる。
競馬を作ったものは神でもなければ鬼でもない。発祥の国こそ違え、
所詮はただの人である。
ただの人が作った競馬が難しいからとて、博打なら何でも良いと云うことはあるまい。

漱石先生がいなかったら、こんなバカなことも言ってられませんでした。
僕の心の師であり漱石の弟子である内田百閒の「贋作我輩は猫である」も生まれなかったのです。
今日は、漱石忌らしいです。漱石先生に感謝します。

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コメント

内田百けん(←門がまえに月。この字はmacで表示できないのです。無念。)には、ちくまの文庫で出会いました。
阿房列車で笑い転げ、サラサーテの盤に身震いし、きわめつけは漱石の鼻毛の話。
なんて凄い人なんだろうと度胆を抜かれました。
原稿用紙に張り付いた「遺毛」のイメージが頭を離れません。

あはは!内田百閒(←出ない)は凄いですね。
あと、ごめんね。門がまえに月が出ないの知ってて書いてました(笑
なんか最近のmacで出るのもあるらしいって噂も聞いてます。
先生は戦前「百間」も使われてたそうで、こっちでもいいように思えます。

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