« サタデー・ナイト・ライブ | メイン | 昨日は、あった。明日は信じない。 »

2004年07月11日

百色眼鏡

百色眼鏡 [DVD]
小林賢太郎プロデュース#4「レンズ」について、皆さんの各々のblogに感想が綴られています。
僕は未見ですが、小林賢太郎及びラーメンズに対する愛情に比例して、「レンズ」観劇後に自己内で昇華させる作業(敢えて無機質な表現を使います)は、さぞ骨の折れることと思います。
僕も必要に迫られて、この「百色眼鏡」を先日遂に観ました。
一応、感想を述べておきます。大したこと書いてないけど差し支えはないと思いますが、未見の方や興味ない方は、進まれない方がよろしいかと(汗)
だって、僕と椎名林檎じゃ、どう考えたって相性が良いとは思えないでしょ(笑)

結論から先に書くと、やっぱこれは「PV風キネマ」か「キネマ風PV」ですね。
そんなもん、最初から解ってるって云われそうだけど。
なんですか、「茎(STEM)」って曲のイメージになぞらえた作品ですよね。この曲自体は、僕は嫌じゃない。
で、イメージ映像作品としては、秀逸な作品ではないでしょうか。
これは企画した椎名林檎さんが凄いのか、監督の番場秀一さんが凄いのか、はたまた美術さんが凄いのか、定かではありませんが、素晴らしい映像作品になっております。
お話自体は「劇的ナ筋立テ!」とか宣伝されてましたが、大した事ないです。
これは脚本がどうとかでなくて、あれだけ限られた時間で、あれ以上どうしろって云われても無理な話です。「キネマ風PV」の所以でしょう。
あくまで、曲のイメージ映像作品であって、キネマではない。
葛城楓は、駒形から嫌疑をかけられてて、天城は身元調査する訳ですが、何の嫌疑かも解らず、これはいわゆるマクガフィン(どうでもいいキッカケ)です。
何の嫌疑かなんて説明してるヒマはない。とにかく天城と楓が接触する必要があるんです(笑)
で、幻想的で耽美な話が進行する訳ですが、これは後で解ったけど曲に合わせてですね。
夜の楓が羽織るケバケバしい真紅に白い鶴が描かれた着物ってのは、
「the stain is the color of red through red」にでも掛かるんでしょうか。
僕は、この曲自体は
Crying tears confusing fears they are no longer
When I stand I know I'll never be down again
Nothing that I need now, once it comes just one time
この辺りがメッセージだと思うのだけど、私的な解釈だし、今は曲の解析してる場合じゃないし(笑)
で、物語が進行して、昼の小雪の楓が夜に林檎の楓に変貌すると無意識に思いながら観てたら、逆ですね。少なくても僕は逆だと思います。
林檎の楓が生み出すイメージが昼の小雪の楓なんですね。ああ、そうですかって感じです。
そういう感じの、お話でした。
昼と夜もしくは夢と現実が交錯する話っては、目新しい訳じゃない。
映画ならスタンリー・クーブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」なんかの方が、斬新だった。そういえば黒澤明監督も晩年に「夢」とか作ったよな。
所詮、「下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとく なり」である。
あんまり若いうちから悟らない方が良いと思うのですが(笑)
以上、なんだか文脈から否定的に思われるかもしれませんが、秀逸なイメージ映像作品だと思う気持ちにウソはないです。ほんと、これだけ短い時間に妖艶で耽美なイメージ世界を作り上げてるのですから。
ただ椎名林檎の音楽に関しては、僕の中で好き嫌いがはっきりしている。
特に歌詞。鋭利なナイフでグサグサくるような歌詞には、見事と思うものもあれば、生理的に受け付けたくないものもある。
今時、「逢らして」なんて「ひ」や「ゐ」は冗談で使うものだ(笑)
いや、今回のように設定が、その文字使ひを欲する場合はともかく、多用は滑稽に映る。
現実で、居酒屋で「おあいそ!」と叫ぶ客や、寿司屋で「あがり差し替え」と叫ぶ客。
どちらも、カウンターの向こうにいる職人さんが使う符丁である。
店の人が云ってこそ意味が通じるのであって、「お勘定して下さい」「お茶をおかわり」と云えばいいのだ。
同様に、場所と事柄をわきまえない旧仮名遣いは、滑稽さを醸し出すよ。
あっ、あとひとつ。この作品の天城こと小林賢太郎は、よかった。役者としても巧いと思う。
ほんと自己愛の強い人だとは以前から思っていたが、今日某サイトで「レンズ」の評論を読んで再確認した。そうだよな、そうだよな、自己愛強いよな(笑)
自己愛が強い人ってのは、得てして気持ち悪いんだが、そんなこと言ってません(爆)
自分の見せ方を、ちゃんと理解している立派な役者です。
あと、彼の役は探偵もどきですが、探偵は英語で「ディテクティブ」ですよね。
でも私立探偵は、所詮浮気調査とか、身辺調査が仕事の中心ですから、英語での蔑称は「プライベート・アイ」だそうです。「覗き屋」ですね。
「覗く」と云う行為によってこそ、真実が見えてくるって意図が本作品にあるかどうかは不明ですが、DVDが終わった後に、全部の穴を覗いたのは、僕だけとは言わせない(爆)

コメント

「茎(STEM)」は音も詩も好きだしPV(私はあくまでPVと呼びます)も好きです。特に詩は英語で叙情的だし、なにより噴飯ものの旧仮名づかいを目にしなくていいだけでかなりポイント高し(笑)椎名林檎のことを好きな方や、ましてや椎名林檎本人のことをどうこういうつもりは毛頭ない(好きか嫌いかなんてとっても不安定だし)のですがホント、彼女は何を生き急いでいる、もしくは生き急ぐことにあこがれているのかと思いますね。こういう感情は私が今だれに頼まれているわけでもなく勝手に苦悩している小林賢太郎氏に対する感情にもつながるのですが、今日はダメです。これ以上書けません(笑)すいません。書き逃げします。ドロン。

昨日今日とこのPV観てました。椎名林檎さんは元々歌詞も曲調も好みですので興味深かった。其処に賢太郎さんと南朋さんが出てるとなれば、買いますとも(笑)彼女の旧仮名遣いとか英詩遣いとか、独特ですよね。あの独創性には心惹かれるんですけど、苦手な方もいらっしゃるはず。刹那的なのに永久を求めるような世界観があるじゃないですか?あのアンバランスさが危うさが魅力なんでしょうね。KKPの時とは違い、PVでの賢太郎さんと南朋さんは役者モード。語弊があるな…ぅ~ん。舞台では結構自由に演じられてましたけど、映像内では曲のイメージを崩さないよぅにしておられたのかもしれませんね。皆さんほど愛着や愛情がある訳ではないので何とも…な感じですが。私も軽く書き逃げ! ごめんなさぁ~い(^_^;)

あたしも観終わった後にすべての穴を覗いた一人です。林檎ちゃん、好きです。弟も林檎ちゃんの歌と顔とエロスがたまらなく好きだと横で言ってます、今。彼女の音楽を聞くたびに「よくぞ頭の中のイメージをここまで具現化したよ」と感心してばっかりです。ただ、あのセルフプロデュース、疲れないのかなぁ?と思います。あれをずっと維持していくのってすごい大変だと思うのです、たとえ好きでも。

>curioさんハイ、あなたが「あくまでPV」と仰るならPVです(^^)僕は椎名林檎の才能は認めたいのですが、「何を生き急いでいるのか」という感情は同感です。あの年齢の時の僕等にあって、彼女にないもの。それは「カモン!ロケンロール!」って叫べるバカなパッションですね(^^)>puzさん僕は「百色眼鏡」の世界観をもって、自己プロデュースしたい気持ちは理解出来ます。でも、賢太郎さんほどの人なら、椎名林檎を遥かに凌駕しても不思議ないんだけどなー(^^)まぁ、レンズが楽しみです。>こなさん僕くらい年齢差が開くと、単純に「好き!」とは思えなくなりますが、僕は突出した才能には素直なつもりなので、素直にすごい仕事だと思います。小林賢太郎は、自己愛の強い人で本当に「自分のことが好き」なんだなぁと思いますが、椎名林檎は自分の才能に対する自己愛が物凄く強い人だと思います。だから、セルフプロデュースも大変疲れるとは思いますが、やめないですよ、きっと(^^)今後もどんどん凄いのを出してくるような気がします。

椎名林檎、音楽は大好物ですけど歌詞は苦手です。なんかね、疲れちゃうんですよ。やりすぎ。「百色眼鏡」は昼の楓と天城が御飯食べるところなんかも隠されたエロスなのかも、と思ったんですけど。「食べる」と言う行為なんかが。隠されてるけど匂いたつようなエロス。それこそ耽美というものではないかと。ヨハン@monsterじゃないけど、「貴女は私で私は貴女」、どちらも貴方の望むように、気の向くままにお好きなように。嘘と真実、表と裏、理性と欲望、昼と夜、全ては貴方の心の中に。それが楓が言いたかった事。そして、どちらの女も葛城楓。ほんの少し、天城がそれに気付くのが遅かった。という風に一生懸命考えてみたんですけど、私のプリン脳みそではこれが限界でした(笑)自己勝手解釈でそして満足満腹です。

>更紗さんさすが。ってか、食べるって行為にエロスを重ねてるのは、間違いない。長くなるし、端折ったけど、僕も絶対そう思います。でもね、賢さんの作品とかと違ってね、これは一生懸命考えるもんじゃないわ、きっと(笑)演り逃げに近い。だから僕も、ああ、そうですかって感じです。僕が20歳の頃だ、PVってのが入って来たのは。あれから20年。PVの文化って、やり逃げ多いからねー。

コメントする