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2005年07月02日

ロッキング・オンの憂鬱

ネット巡回中に某サイト経由でこの記事を知りました。
え! インタビューしたけど録音できてない!?
最初に断りを入れておくと、僕は当該ミュージシャンのファンではありません。
ほんと、彼らのことを何も知らない。
それはロッキング・オン・ジャパン(以下JAPAN)についても同様のことが言えます。
現在の編集長も知らないし、例え遡って山崎氏の名前が出ても、だから何だって
くらいです。とにかく、そんな感じです。
そんな僕がとやかく云うのかと云えば、・・・云う。
この事件に関してミュージシャンの返答は、上記引用サイトにも書かれているように
至極、真っ当だと思います。
そして、僕はインタビューアも気の毒に思う。これを取材陣を責めて済むなら僕は何も
書かない。書く必要がない。けど、問題は編集側にあるのではないかと思うのだ。

雑誌の編集方針ってのは、その雑誌の根幹を為すものだから、読者には選択権もあるの
だし、外野がとやかく言えるものではない。それを承知で書く。
まず、当たり前のことだけど、最初の録音ミスは、いただけない。
これは、事の重大性を踏まえて欲しい。今後、録音機が現状より1台以上プラスされる
ことを祈ります。1台だったなら2台に。2台だったなら3台に。
面倒だと思うかもしれないけど、それぐらいの姿勢を見せなきゃ口先だけのお詫びだよ。
どっかの西日本と同じだよ、ロッキング・オン!(以下、RO)
で、前述した通りtetsuさんの主張は尤もだ。ってか、これがJAPANと初めての仕事で
ないと思うのですが、それでも彼の言ってることは正直だ。
ぬるくグラビア誌並みの扱いに小バカにしたようなやり取りでお茶を濁すことだって
出来るんだから。それをやらずに答えないって方法はインタビューアに対する思いやりに
近いと僕は思います。インタビューアが気の毒だと云ったのは、ここにある。
多分、tetsuさんが思いやるくらい、インタビューアをある程度は認めてるんだろうなと。
インタビューアを認めながらもJAPANへの信頼関係を築けないから、答えられない。っと。
僕は、そう受け止めています。問題はJAPANの編集方針、いやRO社なんじゃないの?

原稿チェックをさせないってのは、ROのコンセプトなんだろと思う。
色々な外的抑圧の影響を受けたくないのも解る。
今回のように、正直に経緯を公開し雑誌として致命的な2頁を作ってでも、
お詫びをするってのもJAPAN、いやRO社の誠意だとも云える。
けどね、時代が違うだろ。だから、RO社もたくさん雑誌出してるでしょ。
表紙のコマーシャル性も、今回のようなことも黎明期から80年代で決着つけたでしょ。
だから、これだけの多角的な雑誌を出してるんでしょ。
「消えてました。でも原稿チェックさせません。そんな雑誌なんですから解って下さい。」
それは70年代のいい訳だ。世紀も変わったんだから、そこを何とかしなきゃ。
そりゃ問題多いのも解る。けど、それが原因で良いインタビューが採れないってことは
ないと思うんですよ。良いインタビューってのは、良いインタビューアがきっちり仕事して
きっちり校正されることで為されるもんじゃないかな。
少なくとも有能なインタビューアに責を負わしちゃダメよ。
有能なインタビューアほど、葛藤を抱えてるのは、エディターなら解るでしょうが。
僕はRO社ってのは、誠意のあるバカ正直な会社だと思う。
でも、空回りしちゃっては、大友克洋の原稿を失くした時から何ら変わってないのと同じだ。
ねぇ、そこんとこどうよ、現編集長?岩谷さんや橘川さんの頃じゃないぜ。
ましてや山崎にだって遠慮することぁないでしょ(笑)
today's nothingじゃ行き止まりだよ♪