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2006年06月19日

all for one,one for all

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うまさはいつか限界がきますよ。力が欲しいです、野性味が・・・
僕がラグビーを観始めた頃、小柄ながら凄いスクラムハーフがいた。162センチ62キロ。
ラグビーは勿論ひとりじゃ出来ないし、WTBまで繋がるには多くのプロセスが要る。
スクラムを起点とした生きた球を、自分を殺してでも供給し続けたスクラムハーフ、
その男の名前は宿沢広朗。日本のガレス・エドワーズ。

名手・宿沢広朗は僕たちに数々の教訓を与えてくれた。
彼は早稲田で現役時代2度日本選手権で優勝している。学生選手権のみならず、社会人も倒して。
第9回日本選手権での三菱自工京都戦はラグビー史上に残る名勝負として語り継がれているが、
最後はショートパントからのボールがバウンドしWTB堀口の胸に入り逆転トライ。
マスコミは「幸運のトライ」「ラッキーバウンド」と書きたてた。

そのボールを取る人間が、良いタイミングで走り、良いポジションに位置することは、誰にでも出来ることではなく、それは練習によってのみなし遂げられることなのである。
たったあの一度の場面のために1年間練習したと言っても決して過言ではあるまい。

宿沢広朗は、校友会誌にこう書き残して卒業していったそうだ。

まだ若かった僕は宿沢選手が早稲田を卒業してからどこに就職したのか知らなかった。
社会人チームのどこにも彼の名前が見当たらなかったのである。後で知ったのは彼が主将として
最後の1年を過ごす時に自分を追い詰める為に敢えてラグビーとは縁遠い就職先を選んだらしい
ということだった。彼のキャプテンシーと云うのはそれほど凄かったのだと思い知らされた。
確かそれは住友銀行だったと思う。ある日NHKのニュースを観ていた僕の目に宿沢広朗が飛び
込んできた。多分金融関係の大ニュースだったと思うので、ブラックマンデーの時かな?
彼はロンドン支店にいてNHKのインタビューに答えていた。
ラグビーで頂点を極めた彼が金融の世界でも能力を発揮している。
僕はとても嬉しかったのを覚えています。
その後、日本代表監督をされたり、その活躍は僕がとやかく書くようなことではありません。
でも三井住友銀行の役員として阪急のTOBにも関わったりしてるのは知っていました。
近い将来、トップに立つんだろうなと思ってました。
彼がどれだけ偉くなっても、僕にとっての宿沢広朗は「チームのために」生きた球を出すSHだし
そんな彼が世に仇をなす筈もなく。宿沢さんがトップに立つ三井住友銀行を見たかったです。

17日午後0時53分、心筋梗塞のため55歳で逝去なされたそうです。
告別式は22日午前11時から東京・築地本願寺。
日本にとって本当に大切で惜しい人を失いました。
僕はまだ信じられない気持ちでいっぱいですが、謹んでお悔やみ申し上げます。
本当に今までありがとうございました。安らかにお眠り下さい。

願わくば故人の叡智が日本のラグビー界と経済界の発展に寄与され受け継がれますように。

コメント

iwaすごいなぁ。私はこんな昔からはしらなかったので。ただ昨日新聞記事を見たときは手が
震えました。神様もなんてことすんねやと。
これからのラグビー界にやってもらわなけらば
ならないことがまだまだあったはず・・
ほんとに残念で悔しいです。
あかん、また涙でてきたわ。
iwaの言うとおり、皆しっかりと受け継いで欲しいです。
優もびっくりしてるやろな。

いや、すごいのは宿沢選手ですから(^^)
本当に残念ですね。僕も書きながら涙が滲みました。
あと本当に今日成立した阪神のTOBのお膳立てをしたのは、彼ですよ、きっと。
これに関しては後日事実関係を確認して書いて餞としたいと思ってます。
「うまさはいつか限界がきますよ。力が欲しいです、野性味が・・・」って言葉は、天上の友人もソラで云えますよ。
だって、僕たち、ことあるごとに口にしていたもん(笑)

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